株式会社タバッキ / tabacchi

Tabacchi Journal

「リ・カーリカ」一筋8年、タバッキを卒業して挑む新たな挑戦!田中隆照の「わたしの7 Stories」

① わたしのタバッキとの出会い

中学1年生の頃に母を亡くし、3人兄弟の長男だった僕は父親を手伝って料理をするようになりました。気がつくと料理が好きになっていて、高校の頃には料理人の道を決めていました。高校卒業後は「エコール 辻󠄀 東京」に進み、フレンチとイタリア料理を学んだのですが、イタリア料理は、素材をそのまま活かすシンプルな料理なので、難しく考えずに食べることができてそれでいて美味しいのが魅力だなと思って、イタリア料理の道に進むことにしました。当時、元サッカー選手の中田英寿さんがセリアAにいたので、イタリアという国に憧れを持っていたのもありましたしね(笑)。卒業後は、東京・自由が丘のイタリア料理店「バッボアンジロ」に入社しました。いずれイタリアで働きたいと思っていたので、行く前にイタリア人シェフの店に入りたいなと。6年間働いてイタリアのピエモンテ州・トリノに渡りました。

トリノでは半年ほど語学学校に行きながらリストランテで働く日々を過ごし、その後は、同じリストランテでそのまま料理人として雇ってもらえることになりました。クラシックなイタリア料理を現代風に昇華させたり、アレンジが効いた料理を出しているその店でたくさんのことを学びましたし、休日にはイタリアの伝統的な料理を食べに行ったり、スタッフの家でお母さんがつくる家庭料理を食べさせてもらったり、とにかくイタリアの食文化を肌で感じとる毎日でした。

そんな中、休暇で一時帰国したときに出会ったのが堤でした。当時堤がシェフをしていたレストラン「トゥ セイ グランデ」を訪れたんです。「リ・カーリカ」がオープンする数年前のことです。その時に食べた「仔羊のハンバーグ」がめちゃくちゃ美味しくて感激。僕的にすごくハマったのを覚えています。でもそのときは特に会話をすることもなく店を後にして…。その後、イタリアに戻ってからFacebookで堤を見つけてメッセージをしました。

それから1年半ほど経って日本に戻り、Facebookで「自分の店を出す」という堤の投稿を見かけたんです。自分自身もいずれ独立をしたいと考えていたので、次に働くなら“店の立ち上げ”に関わりたかったし、堤の料理が美味しいということは知っていたので、「間違いない!」って思ってすぐに連絡。「リ・カーリカ」のオープンメンバーとして入社することになりました。

② わたしのタバッキでの役割

オープン当時は、堤と僕、サービスを担当するスタッフの3人だったので、とにかくがむしゃらな毎日でした。次第にスタッフと店舗が増え、「リ・カーリカ」のシェフとしてお店を守る役割を任されるようになりました。スタッフやお客さんにとっても「僕=リ・カーリカの人」というイメージだったと思うし、使命感を感じていました。

あとは、「中間管理職」的な役割も責任を持ってやってきました。オープン当時から堤のことを知っているからこそ、堤の考えをスタッフに伝えることもできたし、話し合いを通してスタッフをまとめていく「スタッフの相談役」でもあったと思います。

③ わたしのイチオシ

オープンから今までずっと大切にしてきた料理が「ピチ アリオーネ」です。僕が一番自信を持っている料理ですし、タバッキでの思い出の料理です。

オープン当時、堤が「ワインと一緒に毎日食べられるような料理だから定番にしたい。値段も600円で」と話し、「ピチ アリオーネ」が「リ・カーリカ」の定番料理に決まったのですが、僕も初めて食べたときに「これなら毎日食べられるよな〜」と思いましたね。

ピチってシンプルな料理なのですがテクニックが必要で、材料は同じでも作る人によって微妙に味が変わるんです。例えば、ニンニクのロースト加減やトマトソースの詰め加減、塩加減、麺の茹で加減に左右されます。なので、最初の方は何が正解かわかりづらかったのですが、作りはじめて数年後にイタリアに行ってピチを食べまくったときに、ふと自分が腑に落ちる味、美味しいなって思える味が見えたんです。今では自信を持ってお出しできる料理です。

④わたしの仕事道具

「リ・カーリカ」のオープン当時から使っているレシピ帳です。堤に教えてもらったレシピや僕が考えたレシピなどをファイリングしています。このレシピ帳には「リ・カーリカ」で僕が歩んできた歴史が詰まってると思います。見ていると、なんとなく当時のことが甦ってくるし、同じようなレシピでも徐々に変化してたりするのがおもしろいですね。後輩たちにも使って欲しいと店に常に置いてあります。

⑤ わたしの好きなこと

収集癖があって…(笑)。今ハマってるのは蒸留酒です。特にクラフトジンの収集にハマっています。少数生産のものに興味があって、作り手の考えとかポリシーを知ったうえで気になるものを集めています。「リ・カーリカ ランド」でも扱っている「辰巳蒸溜所」のクラフトジンも好きで、自宅にも瓶がならんでいます。ジンの他にも、「ミトサヤ薬草園蒸留所」のフルーツブランデーも好きで、千葉にある蒸留所にも訪れました。あとは、秩父のウィスキー「イチローズモルト」に興味を持っています。僕自身、生まれが埼玉なのと、「イチローズモルト」の蒸留所のすぐ近くに祖父母の家があったりして、ご縁を感じています。

⑥ わたしのモットー

「自分の感覚を大事にする」です。まわりからのアドバイスを受け入れながらも、自分がいいと思ったことに対してまず素直に従う…それが根底にあります。料理も作る人によって微妙に味が変わりますが、それが個性なので、そういうものを大事にしていきたいです。

⑦ これからのわたし

タバッキでは、たくさんのことを経験をさせてもらいました。オープン1年でスタッフが揃ってみんなどんどん成長して、2店舗目も出して…。とにかくスピード感が異常だし、濃度が濃かった(笑)。そんな人気店だからこそできる経験や、堤の人脈によって得られることも多かったです。普通のお店じゃ経験できないことを約8年かけて吸収できました。

常連さんにも恵まれ、自分についてくれたお客さんには感謝の気持ちに尽きます。僕の料理や味の感覚を好きになってくれて「やっぱり田中くんの料理が好きだわ」って言ってもらえるのは心から嬉しいし、自信をもらえます。

タバッキ卒業後は独立準備に入るのですが、やりたい店は「小さな店」。店の中を僕がきちんと見渡せて、自分もお客さんにワインを注げるようなそんな店です。人に任せるのはあまり得意じゃないので、僕を含めて2人くらいで対応できるようなキャパシティが理想です。お客さんに安心感を持ってもらえる店にしたいですね。料理は家庭的なイタリア料理を出す予定で、手打ちパスタは絶対やりたい。あとは、自然派ワインや蒸留酒を出すことも決めています。

実は、年始に神社で引いたおみくじの内容がすごくよかったんです(笑)。なんとなく今年はいいことがおきそう…。そんな予感がしています。

<プロフィール>
田中隆照、1984年生まれ、埼玉県小川町出身、B型。「エコール 辻󠄀 東京」を卒業後、東京・自由が丘のイタリア料理店「バッボアンジロ」に6年間勤務。その後、イタリア・ピエモンテ州に渡りトリノのリストテンテで2年半経験を積む。帰国後、2013年に株式会社タバッキに入社。「リ・カーリカ」のシェフを勤め、2021年にタバッキを卒業、自身の店舗を開業予定。趣味は蒸留酒の収集。

企画/金沢大基(iD) 文/田中亜衣(iD) 写真/倉橋マキ